味園ユニバース

 2014年6月5日、一年前の昨日、関ジャニ∞渋谷すばるの初主演映画がつくられるという発表があった。それから、映画公式Twitterによるロケ情報、(私が個人的に伝説と呼んでいる)テレビ朝日ドリームフェスティバル、ライブハウスでのソロツアー、ロッテルダム映画祭と怒涛のような日々に毎日喜び叫んでいた。一ファンとしてこれらをリアルタイムで喜べたのはとても幸せなことだった。

 一渋谷すばるファンとしてこの一年間の区切りをつけようと思って遅ればせながら、映画「味園ユニバース」をみて感じたことを書く。

 

 映画の舞台は2014年の大阪、実在する人や建物が登場し、その土地にゆかりのある人ならとても身近に感じられたかもしれない。私もロケ地巡りなどでポチ男の足跡をたどってみたりした。私ははじめ、この映画はリアリティを追及しようとしたのかと考えた。世界の隅っこでおこった出来事なのかもしれないと。カスミもおじいもマキちゃんも、もちろん赤犬も自然体でリアルだ。ああ大阪ってこういう一面もあるのかな(ちょっと昔な印象は受けるが)と思った。

 けれども、映画全体を振り返ってみると驚くほどに現実感がない。ポチ男がいるからだ。彼は登場した瞬間から浮き上がって見えた。どこかの感想でポチ男幽霊説を見かけたが、一理あるなと思う。

 ポチ男は口数は少ない。やっと発したセリフもセリフでしかないように感じた。込めた気持ちやあふれる思いは伝わるし、演者のすばらしさは言うまでもないことだ。けれど、「俺は危ない気がする」「俺、死んでたわ」口に出すとなんと薄っぺらく感じることか。

 口にした瞬間に言葉はふわふわとどこかへ行ってしまうようだなといつも思う。言葉は無力だ。茂男の姉の辛辣なセリフよりも、彼女の完璧な化粧と裏腹な首元のピップエレキバンのほうが雄弁だった。

 言葉は無力だ。それでも届けたい思いがある、伝えたい気持ちがある。だから人は歌うのかもしれない。

 ポチ男(また茂男)は劇中、ずっと地面から数センチ浮いているような違和感があった。それは公園で歌っているときも、歌の練習をしているときも例外ではない。赤犬の新ボーカルとして初披露されたシーンは、Мステの合成(SMAPの香取さんのイメージ)のようだなと思っていた。

 しかし、ラストシーン、ユニバースで歌う茂男は確かにここに生きていた。今までもやがかかっていたようにぼんやりしていた茂男がはっきりと輪郭を持った。幽霊でもクズでもアイドルの影武者でもない、一人の魅力的な人間がいた。音を楽しむ彼の中に渋谷すばるを探してしまったけれど、そこには私のまったく知らない人間がいた。(渋谷すばるについて私が知っていることはアイドルであるということくらいだけれど)

 映画では明確な解決は描かれなかった。茂男とカスミの未来は交わらないかもしれないし(私はそう思う)、茂男はクズのままかもしれない。けれど、そんなことはどうだっていいのだ。ユニバースでのあの瞬間、確かに彼は生きていた。私はそれが嬉しかった。

 

 映画「味園ユニバース」は素晴らしい作品だった。ひいき目入りまくりだ。何が悪いと開き直っている。こんな映画に出会えてなんて幸せなのだろう。この映画にかかわったすべての人に感謝している。もちろん渋谷すばるさんにも。